捨てる愛

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 親という字は、木の上に立って見る、と書きます。子どもがある程度の年齢になれば、遠目高見から、つまり少し離れたところから子どもを眺めていて、何かことあったときにだけ手をかけ声をかけるのが親の役割だと教える字なのだそうです。
いまはその距離が近づきすぎて、何かことがある前に、ああだこうだと手をかけすぎる。ちょっときつい言い方になってしまうけど、結果、親なしで自分の生き方を定めきれない、年齢だけは大人の〈子ども〉が増えてきたのではないだろうかと思わないでもないのです。

もうひとつ思うことは、子どもを〈捨てられない〉親の心の奥底に、子どもに〈捨てられたくない〉と思う親のエゴがひそんでいるのかもしれないと感じることがあります。
いつまでも庇護するのは、子ども可愛さだけではない。自分の孤独を恐れる自己愛が、実は心にひそんでいないか、適齢の子どもをもつ親の方々に、ちょっと自分を見つめていただきたいことではあります。

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 ずっと前、〈捨てる愛あり〉という言葉を聞いた記憶があります。
愛というと、私たちは何かを与えることとか、温かく包み込むこととか、そのようなことを思い浮かべますが、ときに、いつまでも庇護に甘えるなと、突き放すことも愛のひとつのかたちであるといった意味でしょうか。

いま、結婚しない人が増えている。そして、結婚するにしても高齢化していることの理由のひとつには、いつまでも子どもを突き放せない、捨てられない親の問題もあるのだろうと思います。もちろん、〈捨てる〉といってしまえば、ちょっと人聞きの悪いことではあるのだけれども(笑)。

2013年11月16日 13:48 長井 春美

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