狭量の時代

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 ちょっと記憶が曖昧ですが、つい先日、新聞であったか雑誌であったか、どなたかが現代を評して、「狭量の時代」と述べられていました。
それは私自身の印象でもあって、近年、日々の面談で会う若い人たちの、人を受け入れる幅というのか、容量というのか、そういうものが、ちょっとずつ狭くなっている、小さくなっていると感じることが、実はしばしば。

それは結局、人の観方のベクトルに表れていて、お相手の悪いところ、足りないところにばかり目を向けていることが多いのではないかなと感じるのです。ときに、悪いところを一生懸命探しているような印象さえ受ける人だっている。
たぶん、としかいいようがないけど、これまで、自分自身、そういう育てられ方をしてきたのかなとも思えないでもありません。

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 悪い、足りないところばかりに目が行く。つまり“狭量”で困ってしまうことは、婚活のいまというより、結婚してからの生活なんだと思う。二人の生活の中で、もしもずっと自分の足りないところばかり探され、指摘されつづけては、たとえそれが“正しい”指摘であっても、いつしか愛も気力も削がれてしまう。

人の観方というのは、結局、今日これまでの人生の蓄積によるものですから、にわかに変えられるというものではありません。
でも、相手の良いところ、というより、面白味というようなものに目を向ける努力を、自分で意識づけてやってみれば、ちょっとずつでも変われるのではないだろうかと思います。それは、相手というより、自分の容量をひろげていく作業なのですね。

2013年8月24日 10:55 長井 春美

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