生活意識というもの

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 恋愛と結婚の違いを一言にいえば、非日常と日常の違いといえるかもしれません。
日常というのは、生活が継続するということ。だから、お見合いや、その後のいわゆるデートは、会話も、行動の様式も、それが継続するという前提で、お互いの相性を眺めていかないといけないのだと思っています。

交際中の男性について、あまりプレゼントをしてくれない、とか、高いレストランに連れて行ってくれない、とか、要するに、彼はケチであるというような不服をもらす女性がときどきありますが、たしかに、それも極端な場合は問題だと思うけど、それを日常の生活意識と受けとめれば、彼は生活者としてしごく堅実であるともいえます。
その人の生活意識をどう見るかで、人の評価もまた変わってくるのだろうと思うのです。

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 ところで、その手の不足を耳にするたびに、いまは、自分の人生に対して受け身の人が少し増えてきたのかなと思うことがあります。彼が(彼女が)、○○してくれない、○○が足りない、と、求めることが多くて、自分がしてあげられないこと、足りないことについては無自覚であったりする。
こんなにしてあげているのに、何も返してくれない、というのだったらまだしも、ただ一方的に相手の好意なり奉仕を求めるような感覚でしょうか。
それは、非日常の空間にはあり得ても、日常の世界では、なかなか受け入れられない感覚のように思えるのです。経済的なことではなく、精神として自立していないと感じる。それは、結婚という“生活”を念頭に置いている彼(彼女)にも簡単に伝わってしまうことになります。

放っておいても与えられるのが当たり前のような生活を、こどもの時代から享受してきたことがひとつの要因とすれば、いま結婚しにくい人が増えていることは、親の問題でもあるのだと、親世代のひとりとして、反省するところが少なくありません。

2013年8月17日 11:45 長井 春美

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