バトンタッチ

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 生命はつねにバトンタッチされていく、といえば、大げさに聞こえるかもしれないけど、でも、これは当たり前過ぎるほど、当たり前の話。
子どもはやがて親になり、その子がまた親になり、ということの連続の果てに、いまの私たちの生命もあります。生命は尊厳なものといわれる「尊厳」には、遠い過去から引き継がれてきた尊いものという意味合いが少なからず含まれているのではないだろうかと思います。
その生命をつなぐ結節点が、結婚。

バトンタッチされていくものって、他にもたくさんあります。
たとえば仕事で上司から部下へ役割が移譲されていくというのもそうだろうし、社会そのものも、それぞれの役割がつねに変わる変化それ自体が活性を招くのだろうと思ったりします。家族もたぶん同じ。

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親子も、子どもの成長、親の老いにしたがって、距離や密度が徐々に変化するから、よい関係性であり続けられると思うのだけど、いまはどこか、子どもが幼い頃の関係性がフリーズしたまま時間だけ経過しているような親と子を見かけることが少なくありません。
ずっと子どもでいることも、ずっと親でいることも、実はあんまり幸せなことではないのじゃないかなと思います。
依存するのは子どもの側だけじゃなくて、たとえば結婚してからも、あれこれ自分の言うなりを求める、自分の手の内に囲い込むような親の心性が、逆に子どもの結婚(願望を含めて)を阻害している場合もいまは少なくないと感じています。

バトンを渡したら、あとは次を走る人の背中を応援する他はない。がんばれという声なき声で送り出すのが、親の親としての自立なのかもしれません。

2013年5月25日 12:08 長井 春美

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