日常を生きる

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 昔の人、というのが、どれほど前の人を指すのかよく分かりませんが、たとえば私の親世代の人たちは、ハレとケというのかな、日常と非日常の区別を明確にして暮らしていたような気がします。
日常が平板なものである分、たとえばお祭りとかお正月とかの非日常の華やかさとか楽しみは際だった。
身近なところでは、私たちが子どもの頃は、着るものでも、いわゆる「よそいき」と普段使いの違いが明確にあって、よそいきのときはそれを着て出かけるのがうれしかったし、その分、普段使いのものが少しくらい汚れていてもさほど気にすることはありませんでした。暮らしのゆたかさが招いてきたものには違いありませんが、いまはその区分けがずいぶん曖昧になってきました。日常がどんどん非日常に近づいてきて、その分、非日常のものの楽しさうれしさが薄れてきたようにも思います。

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 「結婚」というものも、日常と非日常のふたつの側面があります。「結婚式」は文字通り、ハレの日(晴れの日)。あとは記念日や、何年かごとの○○婚なんていうのも、結婚のもうひとつの側面、日常をうまく継続させるためのハレの日にあたるのかな。

ふといま思うのは、結婚のお相手を選ぶというとき、どこか非日常的感覚で探しているという人が多いのではないかなと感じます。具体的には、「友だちに自慢できる人」みたいな感じかな(笑)。
そうでなく、一緒にいて何か息がしやすい。気取らなくていいから楽ちん。いろいろその人なりきの表現はあると思うけど、平板で代わり映えのしない日常を一緒に生きていくに相応しいというところから探してみるのも大事なことかなと思います。

2013年5月11日 18:00 長井 春美

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