幸せと仕合わせ

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 「しあわせ」というとき私たちは普通、「幸せ」という文字をあてますが、旧来の日本語では「仕合わせ」が一般的だったようです。その語源は、「し合わす」。「し」は「する」という意味で、ふたつの動作が「合う」ことを「し合わせ」と呼びました。それが転じて、天運とか巡り合わせというような意味をもつようになってきました。天運ですから、この時点では、よいことも悪いことも、「しあわせ」でした。

仕合わせの「仕」は仕事の仕。これもやっぱり「する」という意味をもっていて、それが「するべきこと」と重なって「仕事」になったといわれています。
それぞれの「するべきこと」が重なり合って「仕合わせ」です。

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 こうして諸々考えてみると、しあわせというのは必ず日常の中にあります。
「するべきこと」がとてもあきらかで、そのことに懸命になっているふたりが巡り会えば、おのずと「仕合わせ」は起こるということです。
それはどちらかがどちらかから無理矢理引っ張り出すものでもないし、どちらかがどちらかに依ってしまうというものでもありません。

私はときおり思うのですが、たとえばだれかとはじめて出会うというとき、人はそれぞれ、相手の「するべきこと」を、ごくごく自然に探しているのではないかなと感じます。それが自分の「するべきこと」と重なったとき、その仕合わせはよい方向を向くのか、そうでないのか、それを自然に感知しようとしている。
お見合いというのはたぶんそういう質のものであるはずです。
いわゆる社会生活における仕事や職業にこだわる必要はまったくないと思う。ただ自分が生きている使命というのかな、そういうものをある程度、自覚的に備えている人は、「仕合わせ」になりやすい。そうも思います。

2013年2月 2日 11:23 長井 春美

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