五年先の自分

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 女性なら30歳の前後、男性なら35歳の前後というあたりかな、ある程度の年齢に達して、まだ結婚をしていない人のひとつの典型として、結婚したくないわけではない、でも、どうしてもしたいと思っているわけでもないというような、少なくとも結婚については曖昧な感覚でいまを過ごしている人たちがとても多いように感じています。
親と同居している人に多いかな、こういう感じ。
経済的に困ることはとくにない。生活の細部についてもとくに困らない。つまり、いまの状態が悪いわけでもないから、あえて何かを変えていかなくてもいいんじゃないの? という感覚。

そして案外、親世代も同じような感覚をもっています。早くお嫁にいってほしいんだけど、とか、早く自立して家を出て行ってほしいとか口では言っていても、内心は、まだいいよね、そのうち気が向くときもあるだろうと、やっぱりどことはなく曖昧な気分で今日をやり過ごしている。

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 でも、この曖昧な感じって、ときとして、どこかのタイミングで、諦める感じに変容していってしまうのじゃないかなというのが、実は私の恐れであったりもします。
35歳。少し遅くなったけど、まだいいよね、まわりも似たような人が多いし。40歳。ずいぶん難しくなってきたけど、まだいいよね、そのうちどこかから良い話がくるような気もするし。45歳。もういまさら焦ってもしかたないよね、縁のものだし……。

曖昧なままであるというのは、もしかすると受け身であるということかもしれません。自分の人生に対して。受け身でないということは、そして5年先、10年先の自分を見ながら、備えていくということなんだと思う。親もまた5年先、10年先の自分を見なくてはいけないのだと思います。体力も生活力も衰える自分を想像するからこそ、子どもを新しい生活に送り出す勇気というのかな、厳しさというのか、優しさというのか、そういうものが湧いてくるのだと私は思っています。

2012年9月22日 11:24 長井 春美

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