自分のお金

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 私たちが普段接している方たちより少し上の世代、未婚の中高年の人たちの結婚難は想像に難くないのですが、その要因のひとつとして、たとえば男性などであれば、ここまで貯めてきた財産、つまりお金を、ある日(結婚)を境に妻が自由にする、それが納得できないと感じる人が少なくないようです。それは働いてきた女性も同じかな。
中高年といえば40代の半ば過ぎくらいから50代あたりを指すのでしょうが、20年、30年、健康で働きつづけて来られれば、それなりの給与も貰えているでしょうし、蓄えのある人もあることでしょう。そしてひとり暮らしていれば、それを自分の意のままに使える。でもそのお金に対する自在さが、結婚した途端に失われるかもしれない。結婚に二の足を踏ませるのは、そういう恐れというか、躊躇いなのかな。

私はそういう感覚を吝(けち)とは一言で断じられません。だって、ひとりでがんばって積み上げてきたものなのだから。だからやっぱり「自分のお金」。
夫婦というのは、子どものことにしても、お金のことにしても、二人で苦労して積み上げてきたり、育ててきたものだから、違和感なく相手に委ねるということが出来る。いや出来やすいというだけのことかもしれませんが、それでも、「自分のお金」という感覚はちょっと持ちにくい。

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 結婚の形態や考え方は人それぞれ違うことを尊重した上での平凡な一般論ですが、結婚はそれなりに若く、しかもお互いが足りないものを抱えている状況で、補い合い、いたわり合い、支え合いして時間を重ねるのがいちばんよいのかもしれないと思います。
お金について、日々の生活について、お互い自然に諒解できる「夫婦」になっていくには時間が要ります。そしてそれを思えば、人の人生というのは決して長くはありません。

いまお金のことにしても、他の暮らしのベースのことにしても、すでに出来たもの、充分に有ることばかりを求め勝ち。でも、昔の三畳一間、ちゃぶ台代わりのミカン箱ではないけれども、充分に無いところから積み重ねていくという質の喜びもまた結婚には含まれていると私は思います。物心の両面について、互いが互いを育て合うというところから、結婚を見直してみてもいいのではないのかな。

2012年9月 1日 11:18 長井 春美

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