だれのために

 嫌いなことが多い人というのは、あまり幸福になれないような気がします。
昔風のたとえをすれば、家事全般が嫌いな女性とか、仕事が嫌いな男性とか。
家事が嫌いだと夫が家に寄りつかないとか、仕事が嫌いだと出世できないとか、そういう具体的な幸福になりにくい理由もあるだろうけど、家事や仕事は生活の大きい時間を占めるものだから日々がともかく楽しくない。一日の大半が楽しくない幸福なんて、ちょっとあり得ません。

実際は好きなときも嫌いなときもあるのが家事や仕事というもので、いつだって嫌いということはあまりないのだろうけど、でも好きでやっている時間が多くなればなっただけ、充実感というのかな、充足感というのかな、そういう幸福に近い感覚をたくさん得ることができるものです。
嫌いを減らして、好きを増やしていくポイントを私なりにいえば、家事でも仕事でも、自分以外のだれかのために懸命にやってみる。するとなぜだか、嫌いと思っていたものがふいに楽しいと思えるようになったりするものです。退屈な仕事に辟易している。でも、この仕事をうまく成し遂げることで恩恵を受ける人がいる。よろこんでくれる人のことを意識しながらやってみる。それで何となく、嫌いと好きの比率が入れ替わることが少なくありません。それは家事もいっしょかな。

人間が幸福になるとき、つまり幸福感を味わうときというのは、不思議なことなんだけど、自分というものへのこだわり(それは利益に対するこだわりかな)を離れているときの方がよほど多いような気がします。

結婚もたぶん同じ。それは自分のためにあるのか、相手のためにあるのか、よく考えればだれにも判然としないものでもあります。結婚で幸福になる秘訣もたぶん同じものなのだろうなと思います。
婚活もそしてたぶん同じ。結婚すれば私はこの人のために何をしてあげられるのか。そういうところから始まる人と人の出会いは、幸福にまっすぐ結びついていくものであるような気がします。

2012年3月 3日 10:55 長井 春美

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