私は私

 人間は周囲の動向にとても敏感な生き物だなと思うことが時々あります。
それも周辺の個人というよりは、「まわりの人たち」というくらいのゆるやかな集団をいつも意識しています。幼い子どもたちが何か買ってほしいときにいう、「だって、ほら、みんな持っているんだもん」というときの、「みんな」。

いま、一定の年齢に達しても結婚しない(しようとしない)人が増えていることの背景には、この「みんな」の存在があるのではないでしょうか。
親に、もうそろそろじゃない? だれか適当な人はいないの? とたずねられて、ふと「みんな」の顔を思い浮かべる。すると、まだ結婚していない人の顔が次から次へ浮かんで、そのことが何とはなく、「自分ひとりじゃない」という安心感になって、「いいの、まだみんなしていないから」という返事になる。それを聞いた親も、子どもの周囲の「みんな」の顔を思い浮かべて、そうか、まだいいのかなあ、と自分をほんの少し納得させる。
そんなやりとりをふと想像してみます。

「みんな……」に、安心感を得たり、納得したりするのは、でも、ほしい玩具や、流行の衣服くらいでよいのかもしれないと思ったりもします。
結婚は流行でするものではなくて、生活するとか、生きるとか、人間としての柱を決めていくことだから、常に、「みんな……」ではなく、「私は私」で考えていくべきことなのだろうと私は思うのです。私は私として当分結婚はしない、というような決然としたものがあれば、だれも何もとやかくいうようなことではないと思うのだけど。

いま、結婚する、でも、結婚しない、でも、この決然とした思いが欠けているのかもしれません。大事なのは「みんな」の動向に左右されないで、自分の考えで生きるという態度なのですね。そう簡単なことではないけど、何かしら自分を定めていくことが、婚活の第一歩かなと思います。

2012年2月25日 11:52 長井 春美

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