明日を考える

 年齢の話をするのはあまり好きではないのだけど(笑)、私はいま結婚の適齢期を迎えている人は当然、そのお父さん、お母さんよりも少し上の世代にあたります。
それなりに長く生きてきて、ひとつ思うのは、人の人生にはいくつもの節目があったり、いくつもの山も谷もあるということ。

家族の関係だけでそれを振り分けていくと、「私」という人間には、親の子どもであった時代と、子どもの親であった時代と、子どもが親になった時代(現在)がありました。
それぞれの時代も、もっとつぶさに見れば、いつも変化しています。たとえば、子どもであった時代の中後期(高校生から大学生くらいかなあ)は、もちろん無意識のことなのだけど、「私ならこうする」というように、親を見て、やがて親となる自分を考えていたような気がします。子どもの親であった時代は、子どもの手が離れるのを見ながら、そして老い病む自分の親を見ながら、自分が老いるということについてずっと考え、それなりに学んでもきました。
人生というのはつまり、「現在」という時間はいつも、次の時間のための学習期でもあるのですね。

子どもである時間も、親である時間も、いずれも限りがあります。
限りがあるとは、いつまでもそこにとどまれはしないということ。つぎの時期に入ったとき自分はどう生きればよいのか、それを考えさせてくれるのが、結婚なのだろうと私は思っています。考えるべきは、子どもである自分、親である自分、そのいずれもなのでしょう、きっと。

2012年2月 4日 11:20 長井 春美

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