合理を越えるもの

 いま世の中でいちばん幅をきかせていることばはメリット・デメリットかもしれないなあと思うことがあります。婚活の世界でもよく使われます。結婚のメリット・デメリット。

 若い、といっても30代半ばの男性。仕事はそつなくこなし、年収もそこそこ。趣味たくさん、得意なものは家事一般。とくに料理は玄人はだし。ガールフレンドも、まわりにそこそこ。で、どうして結婚しないの? の声に答えるのが、「何でも自分で出来ちゃうし、結婚のメリットを感じないんだよね」。私もちょっと納得してしまう(笑)。
 性別逆転しただけの同じ年頃の女性も、最近はよく見かけます。

 同じ家庭生活の根幹なのに、メリット・デメリットフィルターをあまりかけられないのが子育てです。子どもが宿って少なくとも十数年、親に何の具体的メリットも与えてくれないのが子どもです。つわりに苦しみ、出産に苦しみ、夜泣きに苦しみ、病気をしたといっては心配し、習い事に、塾にとお金を費やす。
 でも、そのことにだれもメリット・デメリットをとやかくいいません。
 (いまは、そういうことにも利益不利益をいう親が増えてきたのじゃないかと、ちょっと恐れたりもしているのだけど)。

 メリット・デメリット、利益不利益はつまり合理の世界のことばなのですね。
 合理を越えるものは幸福感しかありません。
 結婚は、それで自分はどう幸福感を得ることができるかという観点で、本来考え感じるものなのだろうと私は思っています。合理的世界における不利益にさえ利益を感じる非合理がたぶん幸福の正体。与えられるより与える方がうれしかったりするのが、人間の幸福感だったりもします。
 現実の生活はもちろんそんなに甘いものじゃない(笑)。与えてくれるのがうれしいんでしょ、とか開き直るものでもない(笑)。与え合う先にきっと幸福はある。どんなに苦しい思いをしても、子どもの笑顔がそれを簡単に相殺してくれる。不利益を与えるばかりの子どもも、ちゃんと返してくれている。親の幸福のための利益を。
 そういうものでしょ、人間なんて。と、愛おしみつつ私は思っています。

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2012年1月28日 11:12 長井 春美

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