元気出していこう

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 人の心というのか、折々の気持ちを、まわりの人間が変えたり、引き出したりすることはむずかしいことにちがいないのだけど、私は最近の若い人たちに、もっと元気を出してほしいなと思っています。それはこの頃とくに、という感じかな。
それは見た目や行動にもあらわれることで、背中が丸まっていたり、話す声が小さかったり。何かしら萎縮しているように映る姿を魅力的に感じる異性はあまりいないのではないかなと思います。

人間の心は、たぶん私たちが思う以上に〈からだ〉の影響を受けているもので、背骨をしゃんと伸ばしたり、下腹にいつも力をたもつような心がけをするだけで、そこから湧いてくる元気もあるはずです。
同じように大事なのは、体調というもので、体調がすぐれなければ当然元気も出てきません。眠りの質量も大事だし、食事も大事。

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 婚活というと、男女の心の機微というものばかりに目を向け勝ちだけど、その前提には生活人としての自分をととのえるということがあって、そのベースは、一人ひとりの〈からだ〉が担っていることにも気づいていただきたいと思っています。
健康で、それに裏打ちされた〈元気〉があるから、結婚という明日に向かっていけるということ。

ところで、2年半ほどかな、ご愛読いただいたこのコラム〈婚活メソッド〉は、今回をもっていったん終了することになりました。少し装いを変えて、また新しい連載をはじめたいと考えています。
「元気だしていこう!」いったんの区切りにあたって、皆さんに伝えたいことばです。

平成26年4月末日
長井春美

2014年4月 5日 11:17 長井 春美

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●無駄を生かすこと

人は無駄を嫌う生き物です。何かしら行為を起こせば、それにともなう成果というのか見返りを欲しがるものです。
いま、社会の仕組みそのものが、成果主義の色合いを濃くして、コストパフォーマンスとか効率とか、そういうことばかりいっているから、いよいよ〈無駄〉への嫌悪感が深まっているのかもしれません。

ところで、結婚を念頭に置きながら、人に会う。だれかと交際をはじめる。そういうことにも〈無駄〉意識をはたらかせなくてはいけないのかなと思うことがあります。付き合ってみたけど、どうしても合わなかったから、交際をやめることにした。何か時間を無駄にした気がする。そういう感じかな。

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 でも、よい結果に結びつかなかったとしても、人に会ってみる、付き合ってみる、そこから得るものって、決して小さいものではないと思うのです。
自分のいたらないところを知るというのがいちばん大事だと思うけど、どこかで共通している異性の感覚を知っていくには、ただの友だちよりも、もうちょっと深い場所で付き合うということが必要なはずです。
すべて〈無駄〉と切り捨ててしまえば、むしろ経験や学びとして、何も残らないということ。

「下手な鉄砲」というほどの無軌道は困るけど、婚活といういまこの時間、期間にしかできない、どんどん人に会うという経験を、積み重ねてほしいと思います。それを無駄にするかしないかは、それを糧にできるかどうかという、人それぞれの心もちにかかっているはずです。

2014年3月29日 11:05 長井 春美

耳をかたむける

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 お見合い、そして交際をはじめるところまではうまくいくのだけど、そのあとが長続きしない。そういう悩みを抱え続けている人は男女ともに少なくないと感じています。
どうして続かないんだろう。その悩ましい気持ちを私に話してくれるのは、どちらかといえば男性の方が多いかな。

そういうとき私は、あなた、相手のことを知りたいと思ってる? と尋ねてみます。
お見合いのとき、交際をはじめたとき、だれでも自分をよく思ってほしいから、懸命に自己アピールをします。それが成功してお相手も、もう一度会ってみたいと感じる。だから、自己アピールはとても大事。でも、そればかり続けていても、「交際」にはなりにくいのです。だってそれは、自分、自分の一方通行ですから。
どれほど流ちょうな自分語りが出来ても、どれほど見事なデートコースが設定できても、それだけでは続かないのが交際です。

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 お見合いのとき自分が何気なく話したことをよく覚えていてくれて、それがしばらくしてから話題に上った。自分のことをずっと気に止めてもらっていたのだと感じて、とてもうれしかった。
まもなく結婚という女性会員の方に、そういう成婚にいたったターニングポイントの話を聞いたことがありますが、彼女に限らず人はだれしも、自分を知ろうと努めてくれる人に深い親しみを覚えていくものです。自分ではなく、相手のことを知りたいと努める、それが互いに重なって「交際」なのですね。

だから、自己アピールの次にするのは、相手の声に耳をかたむけることなのじゃないかなと私は思います。
いまは、自分を知ってほしいという思いばかりが先に立つけど、相手を知るという姿勢が結局その人の心を開かせ、やがて自分を知ってもらうというよろこびにつながることを、いつかみんなに知ってほしいなと思っています。
急がば回れ、だし、聞いてほしければ聞け、なのですね。

2014年3月22日 11:18 長井 春美

異性の基準

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 このあいだ面談をしていた20代後半の女性。どのような人と結婚したいのかと尋ねると、即座に「父親のような人」と答えられたので、ちょっと驚きを覚えました。
たぶんずっと前なら、そう驚かなかった。以前は理想の男性に、自分の父親をあげる人は少なくありませんでしたが、最近はあまり聞くことがない。だからちょっと不意をつかれた感があったのかもしれません。

最近は、ピーナツ母娘とか一卵性母娘とか、心身ともに密着度の高い母と娘の関係性がよくいわれます。その分、父親の影は薄くなった印象がありますが、でも会員の若い女性と話していると、父親への関心が決して薄いわけではないとも感じます。
異性を見るときの〈基準〉を父親に置いているという女性は、いまも昔もかなりの割合を占めているように思います。
〈基準〉ですから、〈理想〉ではありません。先に紹介した女性などは、父親を理想像に置きたいほど円満な家庭の姿がうかがえますが、違うタイプの人を求めるという意味で、父親を〈基準〉にする人もいます。考えてみれば、父親は娘が初めて知る異性ですから、それはそれで当然のことなのでしょう。

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 子どもって、親が思う以上に、親のことをよく見ているものです。言動に表れないこともちゃんと感知しています。
父親像だけではなくて、母親の夫としてあり方もよく見ています。
結婚したいという強い気持ちを引き出すカギは、どういう夫であるかを背中で語ることができるかどうかにもかかっているのかもしれません。

2014年3月15日 11:39 長井 春美

同じ方向を見る

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 『星の王子様』を書いたサン・テグジュペリのことばに、「愛とは見つめ合うことではなく、ふたりが同じ方向を見つめることである」というものがあります。結婚式に出ると、3回に1回くらいの頻度で新郎新婦どちらかの上司のスピーチに登場してくる、あれ(笑)。

そういえば、日本の夫婦や家族を描いた傑作といわれる小津安二郎監督の『東京物語』などを観ていると、老いた夫婦の姿で印象に残るのは、海や町並みや、何かしらふたりで眺めている光景です。ただそれをふたりで眺める姿に、生きることの歓びも悲しみも切なさも、ふたりは共有しあっているのだということが静かに伝わってきます。

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 つまるところ、結婚は時間と生活の共有なのだと思います。
みんな自分の感覚を頼りに一人ひとり生きているのだけど、そこに共感や共有の感覚が加わると、生きることについての安心が生まれる。だれかのために、というほどの大仰なものは要らないけど、側にいてくれると落ち着く、安心するという感覚が、結局お互いを助けていくのではないでしょうか。

いっしょにいると楽しくて仕方ない。そういうものがあれば素晴らしいことだけど、そこまで強い感覚が生まれなくても、側にいると落ち着く、安心する、そういう感覚が芽生えれば大切にしていく。それも、婚活の大事なテーマといえるかもしれません。
ふたりの間で、時間とともに育っていく感覚はたしかにあります。

2014年3月 8日 10:54 長井 春美

生きる力について

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 ひとつふたつといった年齢の子どもが玩具で遊ぶ姿はなぜか見飽きることがありません。子どもも遊ぶことに飽きません。
どのような玩具が子どもを飽きさせないのかとよく見ていると、たいていはブロックや積木というような、遊び方を問わないものの方が、子どもは長く飽きずに遊びます。
スイッチを押すと音楽が出たり動き出したりというような、遊び方が決まっているものは、案外早く子どもに飽きられるようです。遊び方が決まっている分、子どもが想像力や創造力をかきたてられる要素が少ないということでしょうか。

子どもというのは人間の原型です。玩具に遊ばされることよりも、自分で遊ぶことを好むというのが、人間の生き方の原型ではないかなと私は思っています。

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 でも、婚活の現況というものを俯瞰的に眺めていると、いまは、お相手に求めることばかりが多い。つまり、自分の人生に対して、あれもこれも面倒をみてほしいというような〈受け身〉の感覚で臨んでいる人がずいぶんと多いように感じるのです。
自分はちんとして座っていれば、まわりがみんな整えてくれる、自分を楽しませてくれるという感覚で結婚相手を探している、というのは、ちょっと言い過ぎかもしれないけど(笑)。多くの人が遊び方の決まった玩具ばかり求めているように見えなくもないのです。

切り拓いてもらう人生より、切り拓く人生の方が、よほど面白いんじゃないかなと私は思います。
いまお互いがもっている人生の素材を与え合って、ふたりで上手に楽しむ、面白がるというのも、立派な〈生きる力〉のひとつなんだと思っています。

2014年3月 1日 07:32 長井 春美

感じがよい

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 〈感じのよい〉という言い方がぴったりくる人に時折出会います。感じがよいということでは男女の違いはなく、会員さんにも少なからずいて、そしてそのような方はお見合いを向こうからいってこられる頻度がとても高いように感じます。

〈感じのよい〉って、でも、考えてみると、すごく曖昧な表現。具体的には、挨拶をきちんとするとか、だれに対しても笑顔を向けるとか、質問にはきはき答えるとか、服装や髪型などに清潔感があるとか、私の〈感じのよい〉人のイメージはおおむねそういったところでしょうか。

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 挨拶をきちんとする、笑顔を絶やさない、はきはきと答えると、〈感じのよい〉具体像を上げていってふと思うのは、こういうもろもろって、一言でいえば、だれにでもできることばかり。容易なことという意味ではなくて、決して特別なことではないといった方がよいのかな。

人間の魅力、異性の魅力というものを、私たちは何かしら特別なものの有無のように考え勝ちです。でも、男性女性ともに、お相手に求めているのは、だれにでもできることを、ちゃんと果たしていく、日常に対する向き合い方だったりします。
笑顔も、気持ちのよい挨拶も、ふだんからやっていないと不意につくれるものではありません。急ごしらえはすぐに気取られるもの。
きっと日常を〈感じよく〉生きていきたいから、〈感じのよい〉人をみんな求めるのでしょう。

2014年2月22日 11:44 長井 春美

親であることを学ぶ

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 最近、「親学」というものが注目を集めているようです。とくには、若い世代の〈親〉が、親のあり方を学ぶ。いまは結婚していなくても、やがて親になることを見越して、〈親〉を学ぶ、といったことですが、背景には、いじめや虐待などに代表される現代の子どもの育ちの問題を、〈親〉という大元から見直していかなくてはならないという危機意識があるようです。

何を学ぶかといえば、日本の伝統的な子育てもそのひとつなのだけど、たとえば母親は優しく父は威厳を備えて、というかたちばかりではなく、その奥にあった、わが子のためなら自分はどのような犠牲もいとわないというようなある種の覚悟のようなもの。いまと昔の親のありようで大きく変わってきたのは、そういう心の在りかかなという気がします。
地震カミナリ火事親父などといわれるように、昔の父親が恐いものであったのは、子どもをきちんと育てねばならないという思いの裏返しで、だから子どもも、子どもなりに親の厳しさを敬いました。

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と、昔を懐かしんでも仕方のない話ですが、子どもの幸福を思えば、自分は少しくらい嫌われたり、煙たい人になってもやむを得ないというほどの、子どもに向き合う姿は必要かも知れないと思います。
うちの子はいつまでも結婚しないと愚痴を外にこぼしても何の役にも立ちません。世間体をあれこれいっても、それは親の都合。子どもの心には届きません。あなたの幸福を願うから、真剣に結婚に向き合ってほしいという、親が自分を忘れた心の声なら届くかもしれない。
このコラムは、子どもの結婚についてお悩みのご両親にも閲覧していただいていると聞いています。親が変わっていくことが、子どもを変えていく。子育ての基本は、いくら互いの年齢が進んでも、生きているものだと思っています。

2014年2月15日 11:53 長井 春美

自信をはぐくむ

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 最近ちょっと気になったとある雑誌に載っていた統計の数字。日本青少年研究所というところが平成23年に行った調査で、「自分はダメな人間だと思う」と答えた高校生は66%。3人に2人が自分に自信がないと感じているこの数字に、私はちょっとした衝撃を覚えました。他の国では、中国は13%、韓国は45%、アメリカは22%ですから、日本の高校生の自信喪失の度合いは、群を抜いているともいえます。

いま、結婚しない、結婚しようとしない若い人は増加の一途をたどっていますが、高校生がいわゆる結婚適齢期までに、急に自信回復するとも思えないので、このような多くの人の自信のなさが、結婚という新しい生活に踏み出す障害になっているのだろうなと思いました。

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 それにしても思うのは、ひところ、〈根拠のない自信〉というフレーズをよく耳にしましたが、いまあるのは、〈根拠のない不安〉なのかもしれません。みんな、大して自慢できるほどでもないが、大して不安を覚えるほどでもないことで、自信を無くしているようにも感じられるのです。

結婚といういとなみについていえば、私は、助け合ったり支え合って生きていくための絆というほどに考えています。男性にせよ、女性にせよ、強固な自信なんて必要ない。

自分に対する自信の無さが、自分をどんどん自分を内向していく、孤独にしていくのではなく、自信が無いから外に向けて絆を求めていくスタンスに変わっていけばよいのにと思うのだけど。その一歩として、結婚を考えてみてはどうなのだろう。

2014年2月 8日 11:52 長井 春美

結婚のものさし

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 お見合いとは、お相手について、自分が結婚するにふさわしいかどうか、その人となりを見つめる場です。と、それはだれにも分かりきったお話ですが、大事なのは、お相手の何を見るのかという、自分のもっている結婚の〈ものさし〉。

人を見るものさしには二通り合って、いま現在を見る眼と、その人の将来、ときに可能性を見る眼があります。
結婚とは、生涯にわたる生活ですから、彼や彼女のいまだけを見ていてもしかたがありません。将来を見通す眼が必要です。
と、いえば、やがて年収が上がるかどうかをよく見きわめなさい。いま、多くをもっていない人にも、優しい眼を向けなさい、といっているかといえば、それも少しはあるけど、そう甘いことばかりでもありません。

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 たとえば、〈優しい〉ということについて、出会いのごく短い間に、〈優しさ〉を演じることはそうむずかしいことではありません。気遣い、思いやり。そういうものも同じ。でも、それが生涯にわたってつづくものなのか。つまり、その人の人となりとして、優しいのかどうか、そういうものを見きわめていくのも、将来を見通す眼。

容貌にしても、職業にしても、収入にしても、いまあるものだけに気を取られていると、結局は、未来のその人の姿を見落とすことになってしまう。慎重であることも当然必要だし、自分のものさしの眼をちょっと広めに設定して、ともかくも充分に語り合うということが大事なのだと思っています。

2014年2月 1日 11:35 長井 春美

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