憧れに憧れる

 つい先日、教育の世界で仕事をされている方とゆっくり話をする機会がありました。

 彼の話によれば、「教育」というのはつまるところ、人間が人間として生きる技法を教えることである。人間が人間として生きる技法の大切なひとつとして、親が子どもの「結婚」について考えることはむしろ必然といえることかもしれない。と、そんなふうな話をされていました。

 ところでこの「教育」というもの、教科書に書かれていることを教えるといえば簡単に聞こえるけれども、実際、教科書に記されていることなどは大したことではなく、しかもそれが頭ではなく身についてこそほんとうの教育になる。そのためには、生徒なり学生なりがその気になって学ばねば自分のものとならない。無理に教え込まれたものは、受験だとか試験だとか用が済めばすぐに忘れてしまうが、自分の意志で楽しんで学んだことは、生涯忘れることがない。だから子どもに「知りたい」「学びたい」という意欲をどう育てるかが結局教師の役割なのです、とおっしゃられていました。

 良い話だなとうなずきながら、いちばん私のツボにはまったのは、彼の発した「その気になってやらなくては……」というその一言。

 人間というのは、どうやらそういう生き物なのですね。教えられているうちは、大したことは学べない。仕事もそう。させられているうちは、何かに貢献できるような業績は残せません。

 もちろん結婚もおなじで、親やまわりの人々がやいのやいのいっても、当の本人がその気にならないと簡単に進む話も進まない。それがいったんその気になりさえすれば、小さな障壁の一つ二つは簡単に乗り越えることもできる。そういった事例を、私はブライズアカデミーの仕事をとおしていくつも見聞してきました。

 その昔、たとえば私の親の世代は、そのことの良し悪しは別にして、結婚は一定の年齢に達せばしなくてはいけないこと、というように、ある種社会的な強制力をもついとなみでした。それが私たちの世代になると、個々の結婚観はもう少し緩やかになり、社会や周囲の強要ということはさしてありませんでした。ただ私たち自身が、一定の年齢に達せば自分も結婚するのだろうなという漠然とした結婚への肯定感を自然にもっていたような気がします。つまり、結婚についてその気になりやすい環境がありました。

 いまは、かつての強制力はもちろん、ひとりひとりの肯定感も薄れてきている。そのことの良否を語る立場に私はありませんが、しかしお子様が結婚に向けて一歩踏み出すためには、その気になる、ということが、もっとも大切であるということだけは分かります。

 ふたたび先の教育について研究される方のお話によれば、人は人にあこがれて自らを育てようとする生き物であるようです。学びなさいと口でいうよりも、教師や親が学んで自分を高めることに真摯であれば、その姿に憧れて、子どもは自然に自ら学び育てる人になる。究極、自分を育てることが教育なんだとおっしゃっていました。

 結婚しなさいという前に、父と母が仲むつまじく、結婚が人間の幸福にどれほど大切なことであるのかということを、言葉だけでなく背中でも示せるなら、「その気」は案外簡単に引き出せる。そういったものなのかもしれません。

(株)ブライズアカデミー スーパーバイザー/支社長
長井 春美

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