
仕事柄、結婚の適齢期といわれる男女は、どのようにして知り合っているのだろうと、いつも関心をもっているのですが、これが最近は非常に分かりづらいという印象があります。かつてなら学生時代の交際の延長であったり、職場で知り合ったり、友人の紹介であったりというように、お互いを知り合う経緯が分かりやすかったのに対して、インターネットというツールが世の中に拡がったいまは、かつてのような「人づて」というものが少し減り、また携帯電話も普及しましたからその分、家族とはいえ子どもがどのようにして「だれ」と「どのようにして」つき合っているのか、あるいはつき合っていないのか分かりにくい、そういったところがあるような気がしています。
いまもこうしてインターネットを介して、私の考えるところをおそらくは大半、これまでお知り合いでなかった方に伝えることもできる、そういう意味でのインターネットの果たしてくれる役割は大きいのだけれども、何ごとにも功があれば罪もあるというように、いつも心してつき合っていかねば思わぬ落とし穴の待っている道具であることは、およそ間違いのないところなのでしょう。
ところで、単なる出会いではなく、結婚ということを念頭においた出会いをインターネットを介して求めていく。そのこと自体にひとつの危険は覚えつつ、しかし現在はあってしかるべしかなと思いながら、私の立場でいちばんに危惧するところは、出会いのもっとも重要なところをインターネットあるいはコンピュータ任せにしてしまうところがあるのじゃないかなというところなのです。
希望する地域はこの辺り、年齢はこのくらい、仕事はこういう職種を、年収はこのくらいで、そして人柄は優しい人がのぞましい、と入力すれば、その条件にマッチする人が何人か浮かび上がってくる。そして何度かメールのやり取りをして出会う。
が、何かが違う。容貌などでもない。贅沢をいっているのでもない。しかし、生涯を共にするお相手として納得しきれない「何か」が気になって先に進めない。
で、また同じ条件を入力して、つぎの出会いを求める。それを何度も何度も繰りかえす。現在は、そういうケースが非常に多いのではないだろうかと想像します。想像だけではなく、ブライズアカデミーに入会された方に、これまでどのような出会いの機会を求められましたかと聞くと、そうした経験を経てこられた方が案外少なくないのです。
コンピュータは恐らく、何一つ嘘をついていません。ただ、人間のもっている「何か」を感知する感覚がないということなのだろうと私は思うのです。
「優しい人」という、その人の希望であり条件について語っていけば、なぜ優しさを求めるのかというその人の人生における考え方、感覚が、全部とはもちろん申せませんが、ある程度つかめてくる。それならば、決して「優しい」ということを自己アピールしているわけではないが、この人の感覚、考え方と合うのではないか、条件的にも合うだろう。出会いに際して、そんなふうなアドバイスを送ることができる。
ブライズアカデミーは常々そういう場所でありたいと私たちは考えています。
「人づて」を省略してはいけないとつくづく思うのです。
インターネットを使えば簡単に出会うことができる。しかしほんとうに会いたい人に会うということでは、近道のようで実は遠回りしているのかもしれない。そんなことをふと思ったりしています。
(株)ブライズアカデミー スーパーバイザー/支社長
長井 春美


























