
ずっと昔、といっていつの時代とも特定できませんが、まだ世の中が貧しかった頃、夫婦生活が安い木造アパート、ちゃぶ台ひとつでスタートするというようなことが、特別なことではなく、そこここに見受けられました。
木造のアパートから賃貸マンションへ、やがて自分の家を得ようと二人で懸命に働く。何も住まいという形あるものだけではなく、子育てを通して夫婦の絆も深いものにしていく。そんなふうに目に見えやすい幸福がいくつもある時代がかつてはたしかにあったなと、いまちょっと懐かしく思い起こしたりしています。
何がいいたいのかといえば、男と女、人と人が出会い結婚して人生を共にするというのは結局、二人が協同して何かを創りあげていくところに本来的なよろこびある。積算法で考えるべきいとなみなのではないか。そのことをいまの若い方達に気づいていただきたいなとふと思うのです。
いま若い世代の方々とお話していると、とくに男性の方で、ある程度の年齢に達しているのにこと結婚に関してはいまひとつ積極的になれない、乗り気になれない、そういう方が少なくありません。その気持ちの奥底を覗くと、家族以外のだれかと暮らしていくこと、人や社会に対して責任をもっていくことの、ごくごく漠然とした不安感を感じます。
昔と違い住まいのことなら、両親が面倒も見てくれる。その前に自分自身もそれなりの収入がある。が、いざ結婚となると、自信がない。上手くやっていく自信、幸福にしてあげる自信がない、といったあたりの心理状況でしょうか。
一方、結婚のお相手として求める方の条件を、あれもこれもと高く見積もってなかなか出会いにすら結びつかないといった方もときおりあります。こういう方をよく見ていると、決して自分が高い条件をもっているからお相手も高くという話ではないのです。むしろ自分の心に足りないものを自覚するから、それを包み込んでくれる何かを求めているに過ぎない。結局、これもまた自信のなさを裏返しにしたものといえるでしょうか。
そして、こういった方々というのは、私のようにちょっと距離を置いて見ているものにとっては、どうしてあなたが自信をなくす必要があるの?
とつい言いたくなる方がとても多い。仕事も重い役割を担い、収入も安定し、肝心の人柄も優しく生真面目。その生真面目さゆえの不安なのでしょうか。もちろん、何やら先行き不透明な時代の様相も知らず影響しているのかもしれませんが。
そんな方に言いたいこと、そして、ときどきに話しているのは、「出会いも結婚も、60%から始めればいいのじゃない?」ということです。
自分の自信が60%でも、希望しているものを100%満たしていなくても、ともかくも好感をもったらスタート。そこからちょっとずつ積み上げていけばいいのです。
これが100%の自信や満足からはじめれば、あとは消去法になってしまう。
男女の思いを簡単に100にしてしまうのは、もしかすると「恋」というものなのかもしれません。お見合いという形態を経て結婚へ歩んでいく私たちのようなシステムは、「恋」を端折った出会いのように思われ勝ちですが、考えてみれば、お見合いで恋に落ちてもいっこうにかまわないこと。そのとき恋をしなくとも、結婚してゆるやかに互いを恋していくのは、そしてもっとも素敵なことなのかもしれません。
いまの自分に自信がもてなくとも、ふたりでつくっていく明日に、100%でなくてもかまわない、ほんのわずかな自信がもてれば、軽く一歩踏み出してみてはいかがでしょう。
(株)ブライズアカデミー スーパーバイザー/支社長
長井 春美


























