出会いは偶然ではない。

 出会いは偶然ではなく必然である。

 それはブライズアカデミーに入会される方、興味をもたれている方に、折々に申し上げていることのひとつです。

 会いたいと思うから会えるのだし、こういう人をという思いがあるから、だれかを選び出会いが導かれていく。偶然、たまたま、折良くという要素は結局、出会いたい、知りあいたいという「意思」に付随してくるという程度のことに過ぎないのではないかと私は思っています。

 ところで、将来の伴侶を得たいという思いはあっても、ではどのような人にめぐり逢いたいのか、という段になると案外、こういう方という明確なイメージを持つ方は少ない気がします。

 以前、とある女性との交際に断りを言ってこられた男性にその理由を聞くと、「給与や賞与の額ならともかく、家族手当はいくら? 残業代はどれくらいつくのか、とか細かいことばかりを聞いてこられるのですよ」というお話でした。彼が、ぼくという人間は二の次かい? という気持ちになるのもむべなるかな、という思いがしました。

 これなどは、イメージが明確すぎるのが問題かなと思わないでもありませんが、どんな人がお望みですか、と聞いて返ってくるのは、やさしい人、誠実な人といった、分かるようで分かりにくい、つまり曖昧なイメージしか浮かんでこない言葉を発する方が多い。

 逆に、「ぼくはずっとカギっ子で育ってきた。二人で働きながらぼくを育ててくれた両親には感謝しているけれども、自分が子どもを育てるときには、いつもだれかが家にいる家庭をつくりたい」というような話をうかがうと、彼が結婚について求めているものが明確に見えてきます。家庭に入る女性がよいという話ではなく、彼の思いがよく伝わるということです。「誇りを持って自分の仕事に打ち込む女性と結婚したい。それを励みにして、自分も仕事に打ち込みたい」。それもまた彼の思いが伝わります。

 要するに、漠然と何かを相手に求めるのではなく、自分自身が「結婚」するということを、自分の人生にどう生かしていくのかということを考え、そこから発せられる言葉はひとつの明確なイメージを生むということなのかもしれません。

 漠然と、は、偶然につながる。思い描いた「結婚」という必然に結びつきにくい心の様なのかもしれません。

 いわずもがなのことではありますが、結婚を自分の人生に生かしていくとは、自分のためにお相手を利用するということではありません。それぞれを生かし合うということが、「結婚」の何にもまさる意義なのですから。

「自分を大事にしてくれる人を探します。それがいちばん大切なので、仕事だとか容貌だとか、そんなことには何もこだわりません」。そんなふうに言われたとても素敵な女性がいて、それこそあっという間によい方との出会いがあり、やがて結婚されていきました。

 自分という人間を大事にしてほしい。それと同じだけあなたを大事にし、あなたの家族を大事にします、という彼女の真意を深く汲めるお相手の男性でした。

 求める心は与える心と同斤量でなくてはならない。ふと、そんなことを思う「必然」の出会いでした。

(株)ブライズアカデミー スーパーバイザー/支社長
長井 春美

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