
最近さまざまなメディアで取り上げられている「婚活」という言葉。
今、若い人の4人に1人は結婚ができない時代になり、就職するには就職活動が必要なように、結婚するには結婚活動「婚活」が少なからず必要と言われています。
これは2000年前後を境に私たちを取り巻く結婚環境がすでに激変してしまっており、昔のようなお見合いや社内恋愛などの、結婚するための自然な道筋や習慣がほとんど無くなってしまったり、結婚を取り巻く新旧の価値観の間に挟まれて思い悩み、身動きが取れなくなってしまったりという、時代の変化によって生まれてきた状況といえます。
しかし、人はいつの時代でもすばらしいパートナーと結婚をして、ステキな人生を築いていきたいという希望を抱くものです。
だからこそ、今「婚活」が盛んになってきているのだと思います。
そこでここでは婚活のプロフェッショナルである私たちが、「婚活」「出逢い」「結婚」などについて激動する結婚環境の中、皆さんの婚活の一助になるコラムを連載していきます。

最近また、幼い子どもの教育にあたる方とお話をする機会がありました。そこでとても印象に残った話がひとつ。
子どもがいちばん幸せそうな顔を浮かべるときはどんなときだと思いますか? と聞かれて、しばらく考えたあと、お友達と仲良く遊んでいるときかな? と私は答えました。すると彼女は、それももちろん楽しく幸せそうに見えるけど、でもそれだけじゃない、と言ってこんな話をしてくれました。
「子どもって、先生やお母さんのお手伝いでも何でも、何か人の役に立つことをしてそれを喜んでもらえたとき、みんなとてもうれしそうな、幸せそうな顔をするんですよ」。
なるほど、と私が相づちを打つと、
「ほんとうの赤ちゃんの時期は、何かを与えられて幸福を感じる。つぎは自分のことが自分でできるようになって、そのことに幸せを感じる。そして次には、何か人のために役に立って幸福を感じる。そういう幸福の段階があるのではないのかな」。
ああ、いい話を聞いたな、と思いました。
子どもとは結局、人間の原型なのでしょう。たとえば自分の仕事を振り返ってみても、やらなくてはいけないことをそれなりにこなせるようになって、そのことにまず一定の喜びがあります。だけどその喜びは、やらなくてはいけないことのもう一歩先にある、仕事を通して、仲間でも、その仕事をくださっている方でも、だれかの役に立てたと感じるときの深い充足感、幸福感の比ではない。
人の役に立ちたいという感覚をたぶん私たちは本性的にもっていて、それがポジティブに発揮されたとき、いま自分は幸せだと感じるのでしょう。与えられてばかりでも、自分のことばかり見つめていても、その先にあるもっと大きな幸せに出会うことはできないのかもしれません。
結婚の適齢がいくつであるか、すでに定かでなくなってずいぶん長い時間が過ぎますが、一定年齢に達しても結婚しない人が増えてきました。その理由のひとつとして、いくつになっても家庭の“子ども”であることに不自由や不足を感じない人が増えたからだといわれています。
いつまでも与えられている。自分のことだけをしていればいい。それはしかし幸福なようで、もう一歩先のもっと大きな幸せにはとどかない、所詮「気楽さ」という程度のものかもしれないなと、彼女の話を聞きながら私は考えていました。
人の役に立てる、つまり自分が幸福感を得られる大きな人生の“機会”が、あるいは結婚なのかもしれません。
「幸福な結婚」というけれども、与えられる、つまりいつも相手に何かを求めている「幸福な結婚」の幸福度は案外薄い。与える、相手の役に立つ、そんなところで結婚を幸福なものにしたとき「幸福な結婚」の幸福度は、その人が生きたという実感を得るに等しい、無限大に大きいものになるのではないだろうかと思うのです。
で、最後にちょっと恐い話。子どものとき、若いとき、与えられることに慣れてしまうと、人間の本性はそれが当たり前になって、与えることを忘れてしまう。役に立つ喜びも感じなくなってしまう。だから教育が必要なんですよ、お手伝いをさせることが必要なんですよ、という彼女の結論でした。学校で学ばせることだけが親の教育ではないということでしょうか。
ともあれ私自身、いまこうして人の役に立てる仕事をさせていただいていることの幸福を感じたことでした。
(株)ブライズアカデミー スーパーバイザー/支社長
長井 春美




































