本性に組み込まれること

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 それは人生のすべての局面においていえることなのかもしれませんが、婚活というひとつの時代をうまく越えていく人の特徴として、心のどこかで、婚活のそれ自体を楽しんでいることがあると思っています。嫌なこと、辛いこと、面倒くさいこと、億劫なこと。婚活は人間同士のいとなみで、そういう感情と無縁ではありませんから、全部が全部楽しいわけではないけど、心のどこかに楽しいという思いを大事にしている人は、結婚へといたる時間の長短でなく、婚活というものを自分の人生の肥やしにしている、つまり、有為なものにしている割合が高いと感じています。それはあい対する人間への信頼のようなものなのかな。どこか対人感覚の基盤に、自分を含めた人間への信頼があって、それが自分への自信にも、相手の人への期待にも通じているような。
だから、ひとつの縁を失って自信をなくしたり、対人への恐れが生まれても、それはまた時間の経過とともに回復してくる。

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 楽しいか、そうでないか。形あるものとして、たとえば年収や仕事や、そういう「条件」として数値化も言語化もできませんが、楽しんで臨んでいるとき、人間にはある種の活気やエネルギーが生まれ、そして不思議なことに、あい対する人間にはそれを感知したり、ときには自分も感化されて活気が涌く、そういう能力があるのだと私は思っています。
単純に、「感じのよい人」とか、「気分のよい人」というのは、そういう活気を発している人のことなのでしょう。そして、そういう人は、婚活に強い。人生を楽しんでいる人といっしょに暮らしたいと思うのは、ごく自然な感覚だもの。
根っこをたどれば、何をどうがんばる必要もないのですよね。ただ楽しいと思えるかどうかだけのこと。それを難しいといえば難しいことにもなる。だから、私は楽しむ、という意識化とその継続が必要かも。

いやいや、とか、押しつけられてやっていることは、仕事でも何でも熟練しないのですよね。対人関係も同じ。好き、とか、楽しいという感情が0・01パーセントでも混じって、身についていくのだと思います。それはたぶん、テキストで学ぶことではありません。 楽しくないから楽しめないのではなく、楽しめば楽しめるのが婚活なのでしょう。だって、異性を求めるというのは、私たちの本性(ほんせい)に生まれつき組み込まれていることなのですから。

2015年8月 8日 14:04 長井 春美

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