「気」は目に見えない

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 結婚の条件はもちろん人それぞれなのだけど、私が仮に自分の結婚に条件をつけるとすれば、ごく単純に、気の合う人がいいと思います。いろいろと、いざ結婚、これから生活をともにすることを考えると、ほんとうにいろいろと条件のあれこれが浮かんでくるのだけど、それこそ生活をともにすることをもうちょっと深く考えてみると、結局いちばん大事になってくるのが、単純に気が合うか合わないかという、それなんだろうなと思っているのです。
しかし「気」は目に見えません。ブライズでの出会いもそうですが、お見合いという形で初対面の人に会うときいちばん分かりにくいのがこれで、分かりやすいのが年収とか容貌とか、形になって見えるもの。もしも結婚が互いの条件をぶつけ合って、それを数値化した上でマッチングするというような仕組みのものならとても簡単なのでしょうけど、大半の人はやっぱり「気」の合うことの大切さを無意識にも感じているから、だれにもそれなりに難しいものになる。
同じ目に見えにくいものでも、物事の「考え方」というのとも、ちょっと違う。考えるより、感じる、に近いのかな。

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 「気」はそもそも中国の思想や医学で使われてきた言葉のようですが、「息」にも関係しています。「気が合う」も、「息が合う」も、ほとんど同じ意味の言葉。息を吸って吐いてというリズムは、人間が生きるとか生活するとか、人間のいちばん根本にあるものだから、そのリズム(感覚)が自分に合う人を、私たちはごく自然に求めているのかなと思います。考え方は一緒でも、感じ方やリズムが違うと、ささいなことでぎくしゃくしてしまう。男女のことに限らず、人間の関係におけるそういう経験っておそらくだれにもあるのではないでしょうか。
お互いの「気」を知る手だてというのは、向き合って語り合うことも、もちろん大事なのだけど、案外同じ時間のなかで同じものを観、同じものを読み、同じものを聴くときに、相手の感じ方をとおして、肌で知ることが多い気がします。一冊の本の“読み方”で、第一印象がごろりと変わってしまうことだってある。
昔の言葉に「人には添うてみよ」というのがありますが、せめてお相手のリズムに自分が同調できるかどうか感じ取るまで、のんびり同じ時間を共有するくらいの余裕があってもいいのかもしれません。

2015年7月11日 12:01 長井 春美

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