分かり合うということ

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 結婚するかもしれない人、つまりお見合いをして、これからお付き合いをしようかという人のことをできるだけ知っておきたいというのは、たぶんだれにも当たり前の感覚だと思います。
たとえばそれはどのような学校を卒業して、どのような職業について、いまどれくらいの年収があるか、とか、どのような家庭環境なのか、祖父母両親は健在か、兄弟は何人いるのかなどなど、そのような内容のこと。
でも、そこから浮かび上がってくるお相手の人物像は、実はただその人の表面をなぞっているだけのものに過ぎないのかもしれません。

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 プロフィールには兄弟が3人と書かれている。そこから伝わるのは、近ごろにしては兄弟の数が多いかなといった程度のことで、もうちょっと大事な、たとえば兄弟仲はどうなんだろうとか、その人の人物像を知る手がかりになる情報をくみ取ることはできません。
お見合いをする、お付き合いをするというのは、一枚の履歴に記された内容に、一つひとつ人間的な肉付けをしていく行為です。肉をつけたいところは、人それぞれなのだけど、いずれにしてもそれは、その人の人間味にある程度触れなくては分かり得ないこと。時間も必要だし、手間も必要です。

その人を知るための、ちょうど本でいえば目次にあたるようなプロフィールを、しかも斜めに読んで、なにかしらその人のことが分かった気でいる、そういう人をいまは見かけることも少なくありません。
親の出身学校を知りたいなんて人も、最近は増えてきました。それでおおむね家庭環境が分かるというのだけど、家庭環境なんて、そんなに単純に見えるものなのかしら。
知りたければ合わないと。家庭にも飛び込まないと、と私は思います。そして自分の目と耳でたしかめる。直接会って、分かり分かってもらう。結婚への近道はたぶんその他にはありません。

2015年3月28日 10:34 長井 春美

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