叱れない大人

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 最近、お見合いや交際のあれこれについて、ひとつふたつ口頭で指摘すると、必要以上に萎縮する人が少なくない。みんな叱られ慣れていないんだなと感じます。ひとことでいえば、ガラスのハートの持ち主が多いかな、いまは。

つい先日、朝のワイド番組を観ていると、〈叱れない大人〉の増加が話題にのぼっていました。上司の立場になっても部下を叱ることのできない人が多い、とか、そのような事柄で、最近はみんなパワーハラスメントになるのを恐れているとか、さまざまな背景が語られていましたが、もちろんそうした種々の事情があるにせよ、私自身は、叱られることに慣れていない人は、必要があっても、うまく叱ることができないのではないかなと考えていました。叱られることへの耐性、そして叱ることの巧緻は、たぶん背中合わせの関係なのでしょう。

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 いまは世の中全体に、〈叱る〉ということを忌避する空気がありますが、それはおおむね、私はあなたにこうあってほしいのだ、という思いやりを宿した行為でもあると私は思っています。だから親は子を叱り、教師は生徒を叱り、上司は部下を叱る。いまはそのどこかの〈叱る〉が緩んでしまって、叱られ下手の大人、叱るのが下手な大人をつくり出してしまっているのかもしれません。

関係が濃密になればなるほど、〈叱る、叱られる〉ことの意味合いは大きい。つまり、婚活、結婚という異性間の関わりでも、そのような要素はふんだんに登場してきます。そのたび傷ついていては関係が保たれません。
その言葉は自分を痛めつけるためのものではなく、自分を思って発せられているのだという自分自身の意識の変換が、いまは必要な時代かなと感じています。

2015年2月14日 11:56 長井 春美

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