自分を律すること

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 結婚は人が生きていくというとき、少し大仰にいえば、自分を律するために有用な制度かなと考えることがあります。

そういえば、私の友人の男性で、社会人としての自分の箍(たが)を締めるつもりで結婚したという人がいますが、人間は外から自分を律してくれる存在がなければ無軌道になりやすいものでもあります。もちろん、それだけの理由で結婚するということはあり得ないにしても、決断する理由のひとつとして、そういう感覚も充分にアリかなと私は思います。

箍とか枷とか、気楽さや自在性の対極にあるものを私たちは嫌いがちですが、たとえば親子関係なども同様ですが、親にせよ子にせよ、妻にせよ夫にせよ、だれかの顔を思い浮かべて、この人に恥ずかしくない自分でありたい、嫌われない自分でありたいという思いが、私たちの言動に抑制を与えてくれると思うのです。事実、私にも同様の感覚があり、それが日々の私を律してくれています。

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 愛する、ということは、愛されるにふさわしい自分であるかどうか、常に自分を見つめていくことでもあることでしょう。それなしに、ただ愛されることだけを求めても空しい。空しいと思うのは、愛することによって、自分が育てられた、整えられたという自覚が生じにくいからなのでしょう。

いま、現状の気楽さが損なわれるのを恐れて、結婚に二の足を踏む人が増えていると言われていますが、結婚の箍や枷の意味、ときに価値について、もっと語られてもいいのではないかと思っています。

2014年8月23日 11:17 長井 春美

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