なじむということ

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 私のような年代になっても、〈出会い〉という言葉を聞けば心躍ります。それは、ひとつの出会いをきっかけに、何ごとかが大きく変わっていくような期待を感じさせる言葉なのでしょう、きっと。

でも、若い頃に比べて、〈出会い〉に対する期待のハードルは、ずいぶん低くなってきたように思います。たとえば、〈運命〉なんてものが頭につくような出会いを期待することはまったくありません。
人間の関係というものは、小さなきっかけに始まり、それが時を追うごとに、人によっては深まったり、淡いままで終わったりもする。出会いより過程が大事だということを少しずつ知ってきたから、〈出会い〉に対する感覚も変わってきたのかもしれません。

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 結婚という人間関係もやはり同じ要素をもっています。
運命の出会いに導かれた夫婦というものも、この世には存在するのかもしれないけれども、たぶん大半のよい夫婦というものは、出会いの鮮烈さよりも、以降の過程で、育ちあったり磨きあったり、そしてそんなに気張らなくても、なじみあったり、ときに妥協しあって、ふたりの夫婦のかたちを創りあげていくものです。

自分にとってまたとない〈出会い〉を求める気持ちはよく分かります。
でも、そのときの目の付け所というのかな、ひとつの物さしとして、強烈な異性としての魅力とはまた別の観点で、この人と私はうまくなじんでいけるのかな、という時間の経過を踏まえた見方があってもよいのかなと思います。
よい夫婦に育てば、どのような出会いもみんな運命の出会い。そう思います。

2014年5月17日 14:13 長井 春美

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